北の陸から-自然と街と建築と-

北陸を中心とした、日本各地の自然・街・建築を題材とした写真を撮っています。

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金沢に眠る戦争遺跡 大東亜聖戦大碑

戦後70年ということで、金沢に眠る戦争遺跡を特集しています。

 

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大東亜聖戦大碑は、石川県護国神社にあります。

 

 

 

 

 

 

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石川県護国神社は、明治元年からの石川県民の英霊をお祀りしているそうです。

昭和10年に旧小立野練兵場(現地)に移転しました。

 

 

 

 

 

 

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大東亜聖戦大碑がこちらです。2000年に建立されました。

 

太平洋戦争は戦前、大東亜戦争と呼ばれていました。

この戦争を「聖戦」と呼ぶべきなのか、議論も様々あるようです。太平洋戦争で日本人が欧米を中心とした連合国軍と戦ったことで、戦後の当時弱者的立場であったアジア諸国やアフリカ諸国の独立へ希望が生まれたというような旨で聖戦だという意味だそうです。

私がこの碑に対しては賛成・反対という意志はないですが、この碑は今後恒久的に残っていくことでしょう。

そして、戦前・戦後を支えた方がいるからこそ今があるということを忘れてはならないということを考えさせられました。


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金沢に眠る戦争遺跡 旧第九師団長官舎

戦後70年ということで、金沢に眠る戦争遺跡を特集しています。

今回は旧第九師団長官舎です。

 

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大正11年建築の建物です。第九師団が設立された明治31年から20年余り後に建てられた建物です。保存状態も良好です。

 

 

 

 

 

 

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師団長の官舎は立派なもので、当時の建築の意匠がいたるところに残っています。

5年前くらいまでは、広坂休憩館として一般開放されていました。そして、石川県立美術館別館となり会議場として使用され、現在は美術館の修復工房として戦後に増築された部分を壊し、再増築中です。

 

 

 

 

 

 

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煙突もありますね。

第九師団司令部跡の建物同様、木材がピンク色に塗られています。

 

 

 

 

 

 

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裏庭の様子です。芝生張りで寝転がると気持ちよさそうな感じです。

こういった師団長の官舎は全国に5か所残っているそうです。


金沢に眠る戦争遺跡 旧陸軍金沢偕行社

戦後70年ということで金沢に眠る戦争遺跡を特集しています。

 

今回は旧陸軍金沢偕行社です。

 

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旧陸軍金沢偕行社は、第六旅団司令部、第九師団司令部が建てられた同じ年の明治31年に金沢城の北側の大手町に建てられました。

そして、明治42年に現在地へ移築されたそうです。

 

 

 

 

 

 

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偕行社は、旧日本陸軍の将校クラブで、全国各地に建てられたそうです。その中でも現存する3都市の偕行社は国の登録有形文化財に指定されているとのこと。(金沢偕行社は石川県の有形文化財です。)

 

 

 

 

 

 

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偕行社は、隣に移築されている第九師団司令部と比べても大変凝った華やかな建築となっています。

 

 

 

 

 

 

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随分とモダンな建物に。

 

 

 

 

 

 

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細部まで凝った作りとなっています。

少し老朽化した部分が見えていますね。

 

 

 

 

 

 

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2階の窓はこんな感じです

 

 

 

 

 

 

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10年前までは石川県庁の分室として利用されていましたが、現在は石川県立歴史博物館分館という名称になっています。

内部は入れませんが、当時の歴史を伝えるものなので、是非保存してほしいです。


金沢に眠る戦争遺跡 旧陸軍の作ったトンネル

戦後70年ということで、金沢に眠る戦争遺跡を特集しています。

 

今回は金沢城内にある旧陸軍の作ったトンネルです。

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それが、こちら。場所は鶴の丸と本丸の間(橋爪門近く)にあり、石垣をくりぬいて作られています。

 

 

 

 

 

 

 

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元々は、弾薬庫への連絡路として整備されたそうです。

こちらも保存状態が比較的良いものとなってます(少し内部の天井が心配ですが)。

明治期から大正期に作られたものだそうです。

 

 

 

 

 

 

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石垣と煉瓦の境目はこんな感じになっています。

 

 

 

 

 

 

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反対側から見た様子です。

 

 

 

 

 

 

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明治・大正期(そして戦前?)はこのあたりに弾薬庫があったのでしょうか。

現在もひっそりとトンネルだけ残っています。


金沢に眠る戦争遺跡 第六旅団司令部跡 2015

今年で、戦後70年となります。金沢は江戸時代は加賀百万石の城下町として栄え、大きな戦もない平和な時代が続きました。そして、廃藩置県後は、多くの武士で支えられていた金沢の街は武士の失職等で経済面に大きなダメージがあり、大きく衰退したそうです。そこで、明治8年の”第七連隊司令部”と、明治31年の"大日本帝国陸軍 第9師団司令部"が金沢城内に設置されたことにより、金沢は明治~昭和前期まで軍都として栄えることとなります。

第二次世界大戦中は、隣県の富山市や福井市は空襲で甚大な被害がありましたが、金沢市は第9師団が台湾へ転出していたため不在だったことや標的となる軍需工場が無かったため、空襲当日に曇っていて標的が見えなかったため?など、様々な憶測もありますが空襲を免れ、石川県自体も死者数は全国最小でした。(死者数は最小でしたが決して被害がなかったわけではないことを忘れずに)

このことから金沢は、軍都ながらも空襲は受けることがなかったため、今でも江戸・明治期・昭和前期までの戦争遺跡が数多く残っています。

 

 

前説が長くなりましたが、今回は第六旅団司令部を取り上げます。

 

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第六旅団司令部は明治31年につくられました。

同じ明治31年には第六旅団を統括する第九師団司令部も金沢に作られており、軍都であった様子も分かります。

 

 

 

 

 

 

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第六旅団司令部は、シンメトリーで瓦葺きとなっています。規模はそこまで大きなものではなく、当時も比較的こじんまりとしていたそうです。

 

 

 

 

 

 

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土台は煉瓦積みとなっており、風格があります。

 

 

 

 

 

 

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換気口には陸軍に用いられていた五芒星があります。

 

 

 

 

 

 

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戦後は、金沢大学の施設に使われていたこともあり、外観の保存状態は良好でした。


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